top of page

仕事の思い出:「menageKELLyのこと」

更新日:2020年6月14日

2020年3月に「メナージュは休刊します」というインスタ記事を拝見し、とっさに寂寥感に襲われました。

「メナージュ」とは名古屋発のハイクオリティエリア誌。「menage KELLy」というのが正式名称です。


名古屋近郊で暮らす、美しくてエネルギッシュで、人生を楽しんでいらっしゃる読者モデル(30〜40代以上の方。通称メナージュマダム)の方々を取材する雑誌でした。美魔女というワードが出てくるよりも前の話。


私は25歳から29歳くらいまで、名古屋市中区大須にある株式会社ゲインの編集部に在籍していて、このメナージュケリーをやらせてもらっていました。多分2005年から2008年頃の話です。


この雑誌で学んだことが、自分にどれほどの財産をくれたか。人生において大きな意味があったと思っているので、やっぱり寂しいです。




■個人的な思い出Best3


◆第3位…初めてランチページ以外の企画を持たせてもらった時、確か「ジュエリー」ページをやることになり。


とりあえず当たって砕けようと、ブルガリとかカルティエとかダミアーニとかに電話しまくったら、一部のハイジェラーは掲載許可をくれたのだけど、名古屋まで撮影商品を送ってもらうことはできなかったのでした(高級すぎて色々問題があって、取りにきてくれと言われた)。


そこで、当時東京事務所が青山にあったので、そこにセットを組み、カメラマンさんに東京まで同行してもらって、東京事務所で寝泊まりしながら撮影しました(カメラマンさんとアシスタントさんはホテルで寝てもらい、私は事務所に泊まらせてもらった。高級品を置いたまま事務所を空けるのが怖かった)。


名古屋に帰って、ぶっ続けで栄にお店があるジュエラーからも商品を借りて、さらに撮影して終了。人生で初めて3日間お風呂に入れなくて、最後にカメラマンさんのスタジオ近くにある大名古屋温泉に入りに行きました。臭かった。自分が。



◆第2位…「ビューティーメナージュ」という別冊を出すにあたり、表紙はIKKOさんに。その表紙撮影に同行させてもらうことになり、事前に手土産を買おうと名古屋三越の1階あたりをウロウロ。


確か栗きんとんを買った後、ちょっと足りないかと感じて(なんでだろう)坂角総本舗の「ゆかり」まで追加購入したのです。


それをリーダー(編集長)に伝えたら、「栗きんとんだけでいいから」とアドバイスされ、「ゆかり」は別の取材の手土産へスライド。


さらにそのIKKOさん撮影の時は、せっかく東京出張するので、青山のスタジオに行く前にライターさんと観光しようと約束。京橋の主婦の友社の斜め向かいくらいにある、パティスリー「イデミスギノ」さんに行こうとしました。でも、何をどう間違えたのか川崎駅まで行ってしまって。


なんでだっけ。

もうよく思い出せない。そもそもこの記憶は正しいのかどうか。


でも、結局イデミスギノさんには無事にたどり着いて、各自ケーキを2個食いした気がします(周りの人がみんな2個食べてたので)。


取材帰りにはミッドタウンのトシヨロイヅカも行こうとしたら満席で、諦めてサダハルアオキに行ったような気も。


(そして肝心の取材の記憶は、なんだっけ、、、思い出せない)



◆第1位…奥さまと対話した取材のすべて。


本当に私は人間として、女性として、社会人としてペーペーだったので、人として大切なことをたくさん学ばせてもらいました。


取材させていただいた方は、結婚していて、自分で仕事を持っていたりして、そして子育てもしているのに、毎朝髪を巻き、きちんとお化粧をして、綺麗な服を着て、取材に付き合ってくださったのです(聞けば、朝6時に化粧も髪も全部やるとおっしゃっていた)。


今の私の立ち位置からは想像だにできない。


いつも「名古屋マダムの美的生活」とか「名古屋美人の舞台裏」とか特集タイトルはついていますが、内容としては、あらゆる角度から名古屋女性たちのすごさを分解していくのです。


まずご紹介いただいた読者モデルの方(読者モデルの方は自己推薦の応募の方、すでに誌面登場経験のある女性からの紹介、ライターさんからの紹介など口コミがベース)と、カフェで待ち合わせてお話ししてみたりします。何が好きですか? お洋服は? ランチは? 最近のマイブームは?

などなど話を聞いて行き、「実際、取材や撮影についてはいかがですか? ご主人のご了承などは?」と深掘りして行き、撮影日程のお約束を取り付けます。


次は、ご自宅へ伺ってお打ち合わせをしたりします。お洋服はどれがいいとか、何を撮影しようとか。その際は手土産を忘れずに。ご自宅は普通の家ではありません。すごいお家です(形容詞が見つからない)。


プライベートに入り込んで、その女性の魅力を解体して、パーツに分けて写真と文で紹介していく。


そういうものがメディアとして成り立っていたこと自体、本当にすごかった。当時は雑誌も分厚くて、広告も沢山入っていて。


それを支えていたのは、人生に対してアグレッシブな奥様たちの優しさ、美しさ、あたたかさだったと思います。



■振り返って


しかし、今の私にはあまり学んだことが身についてないような気がして、書いていて恥ずかしくなってきた。とりあえず、思い出すと怖ろしいほど沢山の美しい奥様とお話したのですが、きっと失礼千万なことをしてきたはず。どうか、時効ということで許してください。


今、思い出そうとしたら、ベスト3なんかでは書ききれないくらいたくさんの記憶が溢れてきました。


私は本当にこの世界が大好きでした。


コスメページを担当すれば、有り金ぶち込んで化粧品を買い、奥様のファッションを担当した後は身につける服がキラキラしていき、「投資にハマってる奥様の取材の後、FXでも始めやしないかヒヤヒヤした」とリーダーから言われたことも懐かしいです。


本当の意味では、私は人付き合いが今もど下手くそです。

友達なんてうまく作ることができません。

心の壁も壊せません。


でも取材の対象者に、気持ちよくお話してもらうこととか。「媒体に載って良かった」と思ってもらうために、できる限りの事をするとか。言葉では表現できないノウハウを、ここで教えてもらったと思います。


なので、休刊に際しては、ありったけの「ありがとう」を(心の中から)贈りました。



Comments


お仕事のご依頼に関するご相談はこちらから

メッセージが送信されました。

© 2023 トレイン・オブ・ソート Wix.comを使って作成されました

bottom of page