つれづれ岐阜話
- primarytomoko
- 2022年4月19日
- 読了時間: 2分
出身地、岐阜県の取材を昨年から続けています。その中で出会った小ネタをちょっとご紹介。

岐阜市の長良川沿い、川原町と呼ばれるエリア。古い町並みが残っています。
この辺りは江戸時代に川湊のおかげでとても賑わっていました。上流から船で運ばれてくる木材、美濃和紙などの問屋街があったそう。荷上げされた素材を使い、岐阜市周辺では岐阜の和傘、提灯などが作られていました。これは今も岐阜市の名物です(技術継承者は激減していますが、若い女性の和傘職人などもいらっしゃるらしい)。
政治的には、織田信長が作り上げた岐阜城は江戸時代に入ると廃城となり、要所はもっと南の加納城に移ります。ギフという名前すら、現在の川原町周辺を「岐阜町」と呼び、かろうじて残されたくらい。
徳川家康は「英傑たちを世に出した美濃が超面倒なので、もう二度とそんな奴らが出てこないように」と岐阜県内を木っ端微塵に分断して、幕府直轄領、尾張領などに分けてしまいました。←この辺が、現在の県民性につながっているとうっすら思ったりします。所属意識が薄い感じがちょっとある。※大垣藩などは別。
話を戻し。
そんな川原町エリア。
古い町並みを生かすリノベーション物件が多くあります。というか色々見てみた感じでは、岐阜市にはリノベーションを手がける団体が3つくらいあった気がします。ミユキデザインさん、オルガンさん、あともう一個(なんだっけ。。。一棟貸しの鵜飼楽屋さんをやっている方々)。
その一つ、オルガンさんが手がける「長良川てしごと町家CASA」を訪れた時、美しい和傘展示の奥にある「オルガン活版印刷室」を覗かせていただきました。
ずらりと並ぶ活版!

聞けば、店主は「本当は保育園の先生になるつもりで、結婚後に大学に入り直した」とのこと。そんな学生時代に、お姉ちゃんが何かの縁で(確か旦那さんが廃業する活版屋さんの機械を貰えるだけもらったとかで)活版印刷をみよう見まねで初め、それをバイトとして手伝うようになり。
「いつの間にか、私が活版屋になっていました」
現在は、各地で廃業する活版屋さんの機械類をなんとかする(捨てずに活用される道を模索する)ようなこともされているようです。
このご縁に私も乗っかりたいなーと思って、取材後に名刺をお願いしてみました。
初めての活版印刷の名刺。
美濃和紙は正直ハイコストすぎて手が出せませんでしたが、厚みのあるいい感じの紙に手作業で印字された文字がかわいくて愛おしい。

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