昔の旅2:たとえばチェコについて
- primarytomoko
- 2020年8月18日
- 読了時間: 4分
これは私自身が2008年の4月、ハンガリーとチェコを旅した記憶の記録です。当時使っていたパソコンのHDDの記録を、「古いデータと写真を全部入れ込んでいる」大容量のHDDの奥底から発見しました。
社会主義国だった東欧諸国がEUに加盟して数年、急激に資本主義化する国々を旅しました。素朴な可愛さに憧れて訪れたそこには、理想と少し違う朗らかな世界がありました。
為替レートなどは当時のものです。
【東欧旅行日記:たとえばチェコについて】2008年の記録
数年前からことあるごとに「いつかチェコへ」と口走っていたので、ようやく行けてホッとしたのが本音です。これでもう「いつかチェコへ」の呪縛が解かれ、視野が広がるのではないかと(そんな大層なものではありませんが)。
小説「プラハの春」が大好きで、リョウが何度もシルビアと待ち合わせをしたカレル橋のザビエル像を見たいとか、橋の上で演奏する人々を見たいとか、ドナウの流れにふたたび出会いたいとか、いろいろありましたけど、やっぱり街の雰囲気を味わうことが最優先でした。
率直な感想は、予想していたより小さい街だということ。
すべての観光スポットへ歩いて回れるとガイドブックにありましたが、本当に小さい。さらに、旧市街地の石畳みの道路幅は狭く、入り組んでいて、ちょっと迷うと大通りに出るまで自分がどこにいるか分からない。まるで迷路みたいな街から、見える空の範囲は狭く、カレル橋へ出ると安心します。ああ、ドナウだ。
EU加盟から4年、資本流入と観光地化が進んだチェコは、想像以上に観光客がどっさり。わたしもそのひとりなのでなんとも言えませんが、プラハの旧市街地から王宮まで常にガイドブックとカメラを抱えた外国人がずらり。修学旅行生もあちこちにいて、たまたま王宮を訪れたのが土曜日だったため、教会に入るのですら行列する有り様でした。
しかも、「雨は降ってもすぐあがるので傘はなくても大丈夫」と地球の歩き方に書いてあったのですが、運悪く滞在期間中はずっと雨か曇り。一度もプラハの青空に出会えなかったのはやっぱり残念です。 その点から、いつか晴れた日にもう一度訪れてみたいという気持ちは湧いてきますが。
プラハの王宮にて、チケット売り場でポケットに入れておいたカメラをすられ(どう見積もってもわたしの不注意なので悔しいですけど)、どんよりした気持ちで入った教会の内装はブダペストのそれとはずいぶん違いました。
ブダペストはガイドを読む限り、「何年築造の何々を、何年に修復し」と書いてあり、どの建物も修理に修理を重ねて壮麗極まりない感覚。でもチェコのそれは、とてもふるい建物に、あまり手を加えずにそのまま残るように頑張って来た臭いがします(とはいえ、聖ヴィート大聖堂は足して足してつくられているので、入り口部分は20世紀にできたものですが)。
つまり、ブダペストの方が派手ででかい。チェコは昔ながらのものを残しているため、なんだか素朴。
もちろん、プラハの王宮にある聖ヴィート大聖堂はとてもとても大きかったし、ステンドガラスも美しかった。けれど、石造りの壁には必要以上の装飾はなく、華麗というよりも厳かでどこかしんみりしている。

→プラハ城にある聖ヴィート大聖堂
この素朴で、なおかつ技巧的で、そしてプラハの人々の愛情が詰まった街や建物に人々は注目しているんだろうなあと思います。街が小さいというのも、昔のサイズを広げずに残して来たからなんだろうなと。 そもそも石畳の道路を車が走るというあの不思議さ! 傷みやすくて修復は大変そうですが、それほどまでにプラハの人々は街を愛していたんだなと。
ただ、そのまま残された街並は、行けども行けども土産屋かレストランかカフェが続きます。土日の旧市街地を歩くのはすべて観光客で、一瞬「ここはディズニーランドではないだろうか?」と思いました。中心地を離れると観光客はぐっといなくなりますが(よってプラハ滞在の1日は地下鉄で15分ほど離れた場所をうろうろしていました。ヴィシェフラドという墓地とかテレビ塔※すっごいシュールで笑える! とか)。
わたしはたぶん、あらゆる本から匂う「昔は社会主義国だったヨーロッパの素朴さとちょっとすすけた可愛い感じ」にとても興味を引かれたのですが、ものすごい早さで西欧化する街はその「すすけた感じ」を失い始め、テスコに並ぶお菓子はよその国と同じもの、街のあちこちにはマクドナルド、行き交う人はZARAやH&Mの服を着る…なんて世界共通項が浸透してきているのだなと思います。
あと3~4年はやく行っていたら、感想は違っていたかもしれません。
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