昔の旅8:東欧のビールについて
- primarytomoko
- 2020年8月18日
- 読了時間: 3分
これは私自身が2008年の4月、ハンガリーとチェコを旅した記憶の記録です。当時使っていたパソコンのHDDの記録を、「古いデータと写真を全部入れ込んでいる」大容量のHDDの奥底から発見しました。
社会主義国だった東欧諸国がEUに加盟して数年、急激に資本主義化する国々を旅しました。素朴な可愛さに憧れて訪れたそこには、理想と少し違う朗らかな世界がありました。
為替レートなどは当時のものです。
【東欧旅行日記:ビールについて】2008年の記録
プラハに文句たれてたくせに、ちゃっかり毎日ビールを飲みました(ちなみにハンガリーではワインを)。
本当に毎日。
まずはガイドブックのトップに必ずある「ウ・フレクー」へ。
1499年創業で、プラハでもっとも歴史のあるビアホールです。修道院を改装した店内はダークな色合いの木が趣をかもし出し、なおかつ常に観光客でいっぱいの活気がある様子が楽しい。
長いテーブルには相席よろしく様々な団体が集まり、自然とお隣さんとお話できる仕組みになっています。
わたしたちの隣にはフィンランドから来た夫婦。
「今日から一週間プラハなの」
メガネをかけた奥さんは言いました。いいなあ一週間。飛行機で3時間だからすぐだよね。時差は1時間だし。
ヘベロフカという強い食前酒と黒ビール(1杯0.5リットルほどで59コルナでした。4年前のガイド本には49コルナ)を飲み、帰ろうとしたところでスペイン人おっさんチームにひっかかり。

←ビールの泡がとてもなめらか!
同行者のOさんのオヤジ受けの良さを実感した瞬間。彼女はとてもたくさんのおっちゃんを引っ掛けていました。あちこちで。ものすごく。
スペイン人おっちゃんチームは4人、キングコングの孫だと言い張るリーダーオヤジ(フラメンコの名手だとさらに言い張った)、スペインでとっても有名な人物だという優しい顔のイケメンおっちゃんと、悲しみの名手(目が垂れていた)というしわしわのおじさんと、その護衛だという日産の社長に似た濃い顔のおやじさん。
金曜日に来て日曜日に帰るそうですが、たぶん土曜の午後、雨を持て余してビアホールで酒を飲んでいたのでしょう。
われわれが一杯ごちそうになる頃にはすでにビールのマークが20本くらい…(紙に線を引いてビールの杯数を記録する仕組み)。
日本の有名な歌を歌えとオーダーがあり、同行者と一緒に「上を向いて歩こう」を。悲しみの名手だけが「芸者の映画で聞いたことがある」と言ってくれました。「さゆり」のことかな。
ここ以外にも、バドワイザー発祥の地、チェスキーブディヨビツェのビールが飲める「ウ・メドヴィードクー」(ここは0.5リットル30コルナくらい)や、兵士シュベイクのマークがかわいい「ホスティネツ・ウ・カリハ」(ここは60コルナ)にも行きました。値段の違いは観光度の違い。地元の人が多い店は安かったです。どこもおいしかったけど。
どのお店も、店で醸造したできたてのビールを出してくれるので、その店のビールが飲めるのは店内だけ、というところがほとんど!
しかも、泡はなめらかで刺激は少なく、飲みやすいんです。
ライトビールとダークビールがありますが、おしなべてダークビールの方が飲みやすい。苦味もなく、するするっと飲めてしまうのにアルコール度は12%くらいはあります。すぐ酔うけど、すぐ冷める、そんな感じでした。
ビールまた飲みたいなあ。
「ウ・メドヴィードクー」のブドヴァイザーは瓶や缶でテスコに売っていたのでちょこっと買ってきました。お酒が少ししか持って帰れないのは残念です。
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