昔の旅1:たとえばブダペストについて
- primarytomoko
- 2020年8月18日
- 読了時間: 4分
これは私自身が2008年の4月、ハンガリーとチェコを旅した記憶の記録です。当時使っていたパソコンのHDDの記録を、「古いデータと写真を全部入れ込んでいる」大容量のHDDの奥底から発見しました。
社会主義国だった東欧諸国がEUに加盟して数年、急激に資本主義化する国々を旅しました。素朴な可愛さに憧れて訪れたそこには、理想と少し違う朗らかな世界がありました。
為替レートなどは当時のものです。
【東欧旅行日記:たとえばブダペストについて】2008年の記録
そもそも興味をもった最初のきっかけはたぶん、宮本輝氏の「葡萄と郷愁」を読んでから。
まだ社会主義時代のブダペストで青春を過ごす女性と、東京に暮らす女性の人生の選択、その対比を描いた小説です。この中で、ブダペストの学生が集う居酒屋のワインの味、古くて年季の入った街や空気に興味を持ちました。
とはいえ旅の行程に組み込まれたのは同行者が「プラン内のウイーンよりブダペストに興味がある」といってくれたからで、とてもとても感謝しています。すべてのことを受け入れることだけがわたしのとりえのため、「ウイーンでもいっか」と思ってしまった。ブダペストに行けて良かった。
宮本輝氏は新聞連載「ドナウの旅人」を書くにあたって、1982年の10月に、ドイツのニュールンベルクからルーマニアのスリナまでを旅しています。その旅については文春文庫の「異国の窓から」という一冊にまとめられていて、ブダペストの旅のくだりだけ読み返していきました。
彼はたった二日間一緒に行動した現地学生セルダヘイ・イシュトバーンを日本に留学生として招待する決断をします。日本の歴史に興味を持ち、いつか日本留学することが夢だった彼を。(ちなみに、社会主義時代のハンガリーでは貨幣持ち出しに制限があって、日本円にするとひとり15万円ほどしか持っていけなかったそう。だから、国内でどんなにお金持ちであっても、海外旅行をすることは夢のまた夢でした。留学ともなれば、国費を使って飛ぶしかなかったそうですが、最先端技術の研究になら留学費は出ても、日本の歴史の研究となるとそれは論外だったそうです)※さらに、セルダヘイ・イシュトバーン氏は本当に神戸大学に留学し、博士課程を修了し、ハンガリーにもどって東洋史を教えたり、日本に大使としてこの国を訪れたりしています。
そんなうっすらとした情報をもとに歩いたブダペストは、まさに大都会でした。
パリやウイーンにも似た大きくて荘厳な建物は、しかしどこかすすけて見える。
という表現を何かで読みましたが、パリやウィーンを知らないわたしにとってはどれもこれもスケールが大きい。いちばん最初にドナウ河に挨拶にいきました。くさり橋のかかる河は壮大で、見た目は静かで優しくて、でもどこか冷たい臭いがする。

←王宮の丘から見たペスト地区

→とにかく感動した聖イシュトバーン大聖堂の内部
(画像粗いです)。
街並は昔の雰囲気のまま、ゴシックとかバロックとかアール・ヌーボーとかの言葉をどれにあてはめていいのかわたしには分からないけど、その建物にブティックや銀行がおさまる姿にいちいち感動しました。ここで生活している誰かがいる。それだけでもうワクワクさせてくれます。
滞在中2回も足を運んだのは、宿泊していたホテルのそばにあったカフェ「ニューヨーク」。

←カフェ ニューヨークの店内
19世紀末から社交場として活躍していたこの店は、ニューヨークの銀行の支店が入っていたビルにあったためにこの名前がついたそう。2006年に5つ星ホテル「ニューヨーク・パレス・ブダペスト」とともに再オープンし、アール・ヌーボー調の店内は金箔がたっぷりのゴージャスな造り。到着したばかりの夜にここでワインを飲んで感動しきりでした。
でもほんの数年前までは、修理するお金がなくて、剥がれ落ちる壁から歩行者を守るためのアーケードが造ってあったそうです。
つまり、ハンガリー自体にはそれくらいお金がなかった。EUに加盟し、外貨がどんどん流入し、今は驚くべきスピードで物価が上がっています。それはチェコも同じでしたが。
ホテルカフェ価格の「ニューヨーク」で飲んだワインは1杯1700フォリントでした。両替え手数料を考慮して、つねに1フォリント=0.6円で計算していたので、だいたい1000円くらい。
でもそれは街の一部、つまり観光客向け価格なのだと思います。現地の人が通う食堂みたいなレストランでエゲルワインを飲んだ時は、170フォリントでしたので。
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